The formation of the Ocean〜海のできかた〜

Ikumi Togawa WORK in PROGRESS  継続する創作の場所

ヒョーゲンへの「間」

2つ前の記事に書いた事から、心臓と絵の関係について考え続けているのだが、、私が、何かを見てから、それを口や手で表し出すまでの「間」は、もしかして、だいぶ広〜いものなんじゃなかろうか、と思った。今、そこに描かれたものは、ひょっとしたら0歳〜半年の頃にみたものかもしれない、と思ったんだ。ずっと、今、の時間軸で制作していると思っていたから、そう思ったら、自分で自分に驚いた。たとえば、見ないでも、桜の散るのは描けるし、緑茂る山も描ける。でも目の前に、とっても綺麗な薔薇があったとしても、私の過去の引き出しに薔薇の花は入ってなくって、ピンと来ないし、それを描こうとは思わない。その代わりに、今、感じた薔薇の香りは、また、いつかふっとしたときに、目の前に、手や口が、シゼンと、色を放っているんじゃなかろうか、と思う。だから今は、観察にのみ徹してしまう。本当にゾクッとするものには、私はすぐに言葉を発せない。そういう心臓で生まれたんだな、と思った。確かに日頃の悩みだけれど、ぱっと見て、すぐに感想を言わなくちゃいけないときは、息が上がって、うってなるとき多い。そういえば、母に、「あんたは、ちっちゃい頃にお散歩つれていって、お花だよ〜って見せても、なーんにも言わないで、真剣に見てるから、感情が無いのかと思って心配になっちゃった笑。」と言われたこともある。ヒョーゲンへの「間」がストレートじゃないんじゃなくって、ストレートなはずだけど、かなり長いってことなのかもしれないな。

そういう心臓で生まれたんだな、と思った。